2011年9月23日金曜日

なんか良いはなぜイイのか。

こないだ満月だった。


EP-3で。持ってるレンズだと望遠これが限界。

みんなツイートしてた。

あれって、なぜ満月が素敵なのか、いいのか、とかそういうの関係ないっていうか、

そういうことじゃなくて、「良いものは良い」んだよね。

人を殺してはなぜいけないか?という問いに対して「いけないものはいけない」という話なんじゃないか

ってなんか昔すげー売れた新書に書いてあった(タイトル忘れた)けど、そういう感じで。

東大ブロッコリーテロっていうのがこないだあって、

個人的にはあれはくだらないというかそこにかけるエネルギーすごいなとか

ちょっと「よくやるわ。。」と思いつつも、

純粋におもしろいないいなと思っていて、それはシンプルに

それがテキストになったときにキャッチーというか気になるものだったからあれだけバズッたわけだし、

ひらいて見ても画像もなかなか画的におもしろいし。

で、日夜どれだけの人がいかにバズを生むか、に頭を抱えてるのに、

この大学生のイタズラ心というかワルダクミはツイッター界の著名人の目にふれたこともあって

すごい勢いで広がっていったわけで、

あれのなにがおもしろいかときかれるとうまく答えられないんだけど。

けっこう憤慨している人もいたけど、僕は

全ての企画と言うか企てというか、そういうものに意味がなくても良いと思う。

あれが違法駐車のみを対象にしているからとかそういう「狙い」があったかなかったかはわからないけど。

なにかに意味を見出すとか、意義を感じるとかってそれはすごい曖昧なことで、

そこは悪い意味ではなく自己満足に頼ってもいいんじゃないか。

なにかを伝えればそれと逆の意見を持っている人もいるわけで、

でも伝わるべき人に伝わればそれでいいっていう部分もあるんじゃないかっていう。


たとえば
宮崎あおいがおもいきりブルーハーツの曲を歌うCMは、僕はもうかわいくてしょうがないというか、

良いなあと単に思うけれど、mixiの「見たくないCM」っていうコミュニティでは

「聞いてられない」なんて意見が少なくなかったりする。

みんなに良いと思ってもらえるクリエイティブは存在しないっていうスタンスは妥協でしかないんだけど、

1個のことを言うとそれの裏には逆を良しと思ってる人もいて難しい。

エコっていう言葉が実は嫌いで、「エコ」って言葉があるからいつまで経ってもそういう行為が

「エコ」でしかなくて、当たり前のレイヤーに落ちて来れないからって思うんだけど、

(HのESでそういう企画出そうとしたけどスケールデカすぎてうまくおとせなくてもう一つの案にしたのを思い出した)

そういう言葉でツボを押すことで動く人だってたくさんいて、

それってすごい正しくて。

うん、なにが言いたいかっていうとーーーーーーって今日言えない。

難しいねって話。表と裏がある。


個人的に好みなのが、FREITAGとかKULTBAGとか廃材を利用して唯一無二なもの作ってるもの。

持ってるこれもなんの柄だったのかわかんない。前世は誰ですか。


これってようはマイナスをプラスにしてると思うから。

あと同じのが他にないっていうのも、普通にかっこいいとか頑丈とかっていうのもあるけど。

そういうのにどうやら惹かれるみたい。

蝉semiっていうめちゃめちゃかっこいいプロジェクトも最近知ったんだけど、

これを日本のたとえば六本木のフェス用のフラッグとかでやってるみたい。

バッグくそ欲しい。というか蝉っていうネーミングが最高。

意味もかかってるし。

そんなこんなで、こないだ名和晃平さんのシンセシス見に行ったときに、

売ってて思わず買っちゃったのが、これ。


ニューズドって読むプロジェクトのものらしくて、
これはオリジナルプロダクトをつくるときに必ず出るアクリル板の端材を利用しているものらしい。

個人的にこの色の組み合わせが、トイストーリ−3の前にやるピクサーのデイ&ナイトじゃないけど、

昼と夜をパッと連想させるもので思わず衝動買い。

ニューズドっていうネーミングも良くて、
「時間、時代、使用など、あらゆる意味で古くなったモノを、新たな視点で見ることで、別に新しいものとして蘇らせる」っていうのはモノだけじゃなくてメッセージにも言えて、

古くなったというか、変わらないものがあって、それはでも同じ言い方じゃ時代が変わると伝わらなくて、

でもエジプトの壁画にはすでに「最近の若者はダメだ」とか書いてあるらしいし、

トシさんも以前ブログに書いてたけど、ヒョウ柄はずーっと流行ってる。

言いたいことをいかにその時代のトーンにあった「見せ方」をするか。

同じメッセージでも、そこで差が出るわけで、そこにいろんな余地や楽しさがあって、

そういうの感じながらいろんなものつくりたい。

単にそのつくれるものの幅がひたすらに広がっていっているとすれば、

どんだけ楽しい時代。

どんだけーーーーーーーーーーーーーーーー

※GATSBYのCMコンテストに出したのが生き残っているので、他のも見てもし一番よかったら投票してくれるとありがたいです。
「魅惑の妄想」編ってやつです。



http://award.gatsby.jp/vote/



2011年9月6日火曜日

もうごっちゃごちゃ

このブログも全然放置してた。


なにかインプット(ってなんかかっこつけてるね)があったらどこかに吐き出さないと、


結局そのとき「ふむふむ」って思ったことを自分のものにできなくて左耳から右耳へ流れ出ちゃうと思うので、


これからはまたちゃんとここに吐き出したいと思います。


自分の言葉で書くってことの大切さはありとあらゆる人が言ってるしそのほうがスッキリ理解できると思うし。


でもデザインを変えたくてでもやり方がわからなくてこのブログ放置しちゃってたんだった。


そっちも近々どうにかします。


--------------------------------------------------------
整理しないで誰も読んで得しないだろうけどとりあえず書きます。


まず、初のヨルヒルズ。


planistaっていうオッシャーなネーミングのイベントで。


plan+fantasistaの意らしい。


しんぺいさんに初めてお会いして考えを垣間見てけっこーショッキングだった。


なんか自分がいつのまにかすげー限られた見方というか暗黙の了解的にいらない縛りをつくった上でしか


生きてないというか、考えてないんだなって。


なんのために働くのかとか、どうやって生きていくのかとか、大げさにいえばそういう話なんだけど、


それって、本当に自分の中にポリシーというか、人生に対するスタンスというか、


生きる「思想」みたいなのがないといけなくて。


で、そういうの俺わりとあるつもりだったんだけど、いつの間にか「あれ、またないやー」って思って。


しんぺいさんが安定が安定しないことって言ってたけど、


それくらい自分が無意識にいろんなところに予防線はって、


自分が嫌いなしょっぱいおじちゃんたちと同じような道を歩もうとしてることになんとなく気づかされました。


もう一回このタイミングで自分がなにを本当にやりたいんだっていうことと真っ正面から向き合わなきゃって感じ。


なんか、本当無意識のところに意識を向けるってすげー怖くて、まわりの空気と同じようにふわふわただよって生きるのってすげー簡単だから。


でもその先に自分の理想郷はあんのかって言ったらちょっと違う気がして。


憧れる人はいっぱいいるけど、その人たちのイメージに憧れてるだけで、


中身というか、そこまでの過程というか、そういうのシカトしてああいう風に見られるの良いなって


いいとこだけ真似できたら良いなって思うのって、「どうしたらそうなれるのか」っていうのを完全に無視した話だから、


それって結局俺なんにもできない奴だなって。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


アプリムが終わりました。




今回は反省しかない。


もう穴があったらさらに掘って掘って掘ってから入りたい。んでそっこー埋めてほしい。


反省を赤裸々に、レッドヌーディーに。


まず、チームとして一切機能できないまま終わった。


俺は、今回本気で優勝するしかないメンバーに声かけて、


前回のアプリムでSTVと小島なんとかって奴と組んで、役割とか決めずに、


全部三人でシェアして全部ぶつけて、でもなんとなくいいと思うセンスが近くて、


かなりいい感じで最後までバカやりながらすすめて、の割にはインパクトよりも


「ほんとにあったら使いたい」系の企画で企業賞2つもらって。


でも彼らがソウケイだったから青学で今回はいこうと思って。アイデアでは青学イケイケですよってとこ見せたくて。べつにコンプレックスとかじゃないんだけど。


「あほ学」って名前で女の子の化粧品のほうで優勝できたらどんだけかっこいいんだろと思って、


最初は出る気なかったんだけど、その妄想が楽しかったから、


三人を誘ったんだけど。


本当にリーダーとして一切役割を果たせなかった。


最後までバラバラを向いたままだった。


まあ割とあくが強いというか、くせのあるメンバーだから(笑)難しいんだけど、


それにしてもかみ合えばすげーことになったんだろうなって思えるメンツだっただけにすげー悔しい。


自分たちがまず自分たちの企画を良い!と思えてることがなによりも大切だと思うから。


結果的に、大学のレポートじゃないけど、とりあえず最低提出に間に合えっていう感じ。


本当に残念だった。


自分たちが良いと思えるものを出せてれば、結果もついてきたんじゃないかって思うし、


正直決勝はなんだか腑に落ちるものではなかったけど、それでも救いにはなったと思うし。


アプリムを通してやばいことに気づいた。


自分は、こういう企画を実はほっとんどしたことがない。


から、企画書が全然かけない。


なんかそういう系の人たちと仲いいから自分もてっきりできるもんだと思い込んでいたというか。


ようは、なんにもできないんです。


それに気がついてしまった。


ちょっとジャストアイデアを人より多めに言えるくらい。恐れを知らないだけっていう。


それって仕事になんない。っていうかこういうときに力になんない。


すげー怖いことにきづいてしまったなー。と。


なんとなく運と雰囲気で、けっこー大切なインターンに行けたりアプリムでいい感じだったりして、


地震あって考えがすこしずつ変わった先で行きたいと思える会社に行く権利を得て、


順調なんだけど、順調な故にすごいやばいなー。と。


そういうところを評価されていくのに。そこで勝負したいのに、


俺ってなんとなくでしかやってきてないなって。


別にプライベートというか、そっち系というかあっち系がどうとかって俺はけっこー切り離して考えていいと思ってるんだけどコンプレックスだらけだからまたそっちも見て見ぬ振りなんだけど一旦おいといて、


(しんぺーさんとカズワタベさんはすごいことを言ってたけどw)


そこから目をそらしちゃいけない気がします、このタイミングで。


んで、自分の考えとかどうしていきたいかとか、そういうのもう一回見つめなおしたいと思う、


夏休みのうちに。いわゆる自己分析ってやつをもう一度。


でもこれわかんないけどみんなにも言えるんじゃないかと思ってて、


考えって流動的だし、しゅーかつがおわって卒業後どうするかでまたこれからのこと考えるって大切じゃないかなと思う。


しゅーかつのときに書いた模造紙(これ気に入ってるやり方)をもう一回広げて、自分の理想のビジョンをもう一回再構築します。


今回考えなきゃいけないのは、憧れてるようなすげークリエイターというかクリエイティブディレクターは、


はんぱない量の泥臭くて地味で大変で苦しい作業を毎日こなしてるってことだと思う。


その上でいまああなってるんだと思う。だから大切なのは、その先の結果として見るんじゃなくて、


目指す過程ですら楽しめる考えのたてかたかなと。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


アプリムのパネルディスカッションがかなり混乱してた。


同時にTL追いながらで、偉い人たちも意見が交錯してて、それが逆にあ、いいんじゃねえかなって思った。


そのなかで、コピーの考え方が大事だなって俺は一つ結論を出しました。


原野さんのこのつぶやき


深堀とか分析が大事とか言うと、それを信じちゃう学生が出ないか、心配。手段の目的化。商業企画で重要なのは「発見」、あるいはインサイト。聞いたらあーそーだなーと納得するけど、あー思いつかなかったなーという視点。それに至る思考技術を持った方が効率いい。 


コピーから考えてくっていうの、アプリムでも一瞬試みてみたんだけど、


言葉としてまず、みんな思ってるけど、誰もまだ口にできてないというか取り出せてないというか表にひっぱってこれてない思いだったり気持ちをまず表に出すこと。


これがくっそ大事だなと。


だからコピーのノートもう一回みて振り返る。あと宣伝会議本気でやる。


だいたいすげーCDってコピーもうまいしな。


あともうひとつコピーが大切だなって思ったのは、


同じメッセージでも文言とかで全然見え方というか伝わり方が違うから。


そしてそれでだいぶ差が出る。


それって怖いこと、というかもったいないこと。っていうかありがたいこと。


なにを言うか、どう言うか


のどう言うかのところでなにを言うかは本当に違って見えるんだなっていう。


もちろんなにを言うかの質がそもそも大切なんだけど。


またいつものごとく、手を動かせる人が最強だなと思いました今回。


だから手を動かせないなら動かせないなりに動かせるようにならないと。


コピーライターにはとりあえずならないけど、コピーライターよりもいいコピーを書ける状態でいたい。


それを武器に企画を考えたい。


でもそこででっかい勘違いが実はあって、


マジョマジョで優勝した魔女の女の子が「愛があればなんでもできる。愛を持って接すれば叶う。」って


はっきり言い切ったことの意味ってすげーでかくて。


すげーはっとしました。


企画のための企画じゃなくて、そもそもそういうスタートの仕方自体がナンセンスというか間違ってて。


良いものを発信しようとか、少しでも心を動かそうとか、クライアントの課題を解決しようとか、


そっちのマインドというか心持ちが先行するってこと。


わかんないんだけどあの子のコメントは、審査員とか社会人のほうがぐさっと来たんじゃないかなぁ。


ようは企画は社会とか人への愛に満ちたものじゃなきゃいけなくて、賞を取るためのものでも、


人からよく見られるためのものでもないってこと。だから、あの子が優勝したこと、優勝したあの子があそこで


あのコメントをしたことの意味はすごい大きいと思う。


なんかアプリムに関してはそもそもでもコンペだからある程度しょうがないと思うんだけど、


てかそれが人間の正直な気持ちでもあるからしょうがないんだけど


「ドヤ顔」するために臨んでた。


それがいちばん下のレイヤーにきちゃいけないんだよなー。


とにかく
「協調すれども同調せず。」
「意志あるところ道あり。」
っていう高校のときの先生がくれた、っていうか多分先生自身のモットーなんだろうけど、


をもう一度心に宿して、ちょっとがんばりたい。


こじはるじゃないけど、本気出したい。


あと最近きづいたのが、33巻あたりの悟空の考え方がいちばん使えるってこと。


ベジータとかトランクスがとにかくパワーとか気を大きくすることに夢中になって、


だけどそれって逆効果でセルにちんちんにされてる状況のなか、


悟空はいたって落ち着いてて、悟飯と一緒に、


「スーパーサイヤ人の状態を当たり前にする」っていうことを目標に修行した。


これは、ようは「当たり前の状態をいつもより高め」にするってこと。


「MAXのときの値を高める」んじゃなくて、平常時の状態をレベルアップさせる。


これって自分に今いちばん必要なことなんじゃないかと思う。


ようは、調子のいいときじゃなくて、普段の底上げをすること。


それがいちばんいま必要だと思います。マンガ最高です。もっと読みたいです。


さいきん、John_lennonbot をフォローしたんだけど本当いいこと言う


人の言うことなんて気にしちゃだめだよ。 「こうすれば、ああ言われるだろう・・・」 こんなくだらない感情のせいで、 どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。


これとか本当刺さりまくった。


本当の意味で正直に生きるって本当難しいんだな。できてるつもりでいたけど、やっぱり誰かの目を気にしてる。


でも、髪の毛とかそういうとこですこしずつ正直になれてきてます。おじにも変わったね!って言われたし。


あとはれんあ(ry


アプリムで人生変わったって話、大げさだなーなんて思ってたけど自分もそうなのかも。


というか、もとをたどると、アプリムに出るきっかけになったおりおさんとの出会い、


おりおさんとの出会いのきっかけになったCAC、


CACに通うきっかけになったたまたまABCで見た「クリエイターの素」って本。


ほんと、運命というか、そういうのって、きっかけはすごい小さいんだな。


なんかファンタジー。なんかドラマ。小さな選択肢の組み合わせで、その先の枝を辿ってくんだな。


でもあの日もし本屋にいってなかったら、、、、と思うと本当に怖い。ぞっとする。


なんかありがとう。神様、デンデさま。




次からはもうちょっと読めるものを書きます。