2011年12月31日土曜日

範馬勇次郎とセレンディピティ


漫画「範馬刃牙」で、地球上最強生物であり刃牙の父である範馬勇次郎は、

『防腐剤、着色料、保存料、様々な化学物質、
身体に良かろうはずもない。
しかしだからとて健康にいいものだけを採る、
これも健全とは言いがたい。
毒も喰らう
栄養も喰らう
両方をともに美味いと感じ、
血肉に変える度量こそが食には肝要だ。』


と言っていた。
これがめちゃめちゃ良いこと言ってて(ほんと刃牙は言葉の力やばい漫画)、

あんま人生とは幸せとはって話「そんなんわかるかい」と思うから好きじゃないけど、
そのまま食を人生とか幸せってことに置き換えてみれば、
食わず嫌いをすること、とか、良いこと楽なこと気持ちいいことばかりをよかれとすることって、
楽しみ方としては半減なんだなっていう。

それは振れ幅、相対的にしか人は価値を感じれないんじゃないかっていう話なんだけど、
そういう言い方もできる気がする。

「あの日があったから今がある」とか「雨が降らなきゃ虹は出ない」とか、
「良薬口に苦し」とか、「かわいい娘には旅をさせよ」とか「苦労は買ってでもしろ」
とかなんかそこらへんって、全部そういうとこからきてんじゃないかな。

ほんと言われすぎてミミタコ系の言葉ってバカにできない。

つらいことも苦しいこともつらいし苦しいしできれば避けたいんだけど、
いざそうなったときに、「あ、振れ幅あざーす」っていう心持ちを少しでも持てれば
すごい良いことがあったときに、調子がいいときに、
体感できるのはきっとより大きなものになるのかも。

ようは、「ギャップ萌え」

◯◯なのに△△
は、

ただの△△が、◯◯であることで余計に際立つっていう。

普段おとなしいから怒ると余計に怖いし、
ママなのに若くてキレイだし、
「若いのに偉い」し、
医者なのに不養生だし、
ペンギンは鳥なのに飛べなくてかわいいし、

みたいな。

「意外」 の価値。

同じとかイメージ通りって楽だし気持ちいいし、
でも、
そういうふうに考えたら、らしくないこととか、
普段しないことにつっこんだり、
自分で自分をつくらないで、その幅を広げていくことって、
自分が楽しくなるためにはすごい大事で、
(結果、萌えるんならモテることにもつながるかもしれないけど)
それが、今年一年間意識していた「神様にフェイントをかける」という言葉でした。

「神様にフェイントをかける」は、
柳澤大輔さんの本、『アイデアは考えるな』に出てくるんだけど、
あえて普段しない方にのっかってみることで気づけたりすることがたくさんあるよっていう。

本当にそれを体感したし、結果的にそれで損したっていう気分には一回もならなかった。

たとえば松屋とかで「これ絶対選ばないなー」とかっていうものを選ぶとかそんなんだけど。

「いつもの」に、「いつもとちがうもの」をはさめば、
もしかしたら「いつもの」の良さをあーやっぱりあっちだわ、って、
また新鮮に感じられるかもしれないし、こっちもいいわー!ってなるかもだし。

セレンディピティって言葉がけっこうキーワードっぽく扱われたりするけど、
言ってることは刃牙の親父さんとたぶんそんな違わなくて、
偶然というか予定していなかったものに意外な価値とか発見があるかもね!っていう。

なんか広告の未来はどーなる?みたいな講演で嶋さんか岸さんが、
「アマゾンに『あなたに全然関係ない本はこれです』って一冊薦めてくれる機能とか
あってもいい」みたいなことを言っていて、まさにそうで、

自分に近いもの、親しいもの、好きなものばかりに囲まれた生活は、
きっと快適そのもので、生きやすいんだけど、もしかしたらつまんなくて、

<思い出はいつもきれいだけど、それだけじゃお腹がすくわー♪>

ってなるんだと思う。

大好きなバンド、サカナクションの一郎くんも
「混ざり合わないもの同士を混ぜ合わせたときの心地よい違和感の追求」
ということを言っていたしね。

順当にいいものを追求する王道もかっこいいけど、
こんな道もあるんじゃない?

サカナクションでいえば、こんな音楽もかっこよくない?っていう、
それはまさにアイデアの作り方の話にもなる。

来年をより自分にとって楽しい年にするためには、
らしくないことだったり好きじゃないものにも、
なんとなく目を向けてみるっていうのが大事かもしんない。

ハズしっていうか。

一方でいつものを守り続けるというか、ルーティーンワークを欠かさずこなす、とか、
自分のリズムなのも同じく大事で、

自分なりのジンクスとか、ヘンな習慣とか、そういうので培われてるその人だけの
「テンポ」とか「リズム」って本当に大切だと思う。
毎日続けてることとか、自分だけの習慣とかあんまないからできるようになりたい。
チリツモスピリット。

嶋さんは動物遊具を定点観察してて、すごいおもしろい話してたしね。

続けていくことと、裏をかくこと=「あえて」をやること。

リズムと、展開。
緩急。

自分へ
それがうまくできたらきっともっと楽しい年になるよ
地味なプロセスなくして派手な結果なし

NO JIMINA PROCESS,
NO HADENA KEKKA!

めでたい年ではなくモテたい年でした。

みなさん
よいお年を。

ロックンロール!

2011年12月7日水曜日

ソラニンかも

最近、なんか音楽の聞き方が変わったっていうと大げさだけど、
サカナクションのおかげというか、影響というか、
音楽がちょっと違った存在になってきて、
それは単に大きくなったとかじゃないんだけど、濃くなったというか、
アーティストの考えとかをもっと知りたくなったというか、
まぁ、アーティストがよりカッコよく見えてw

それは、twitterとかでカンタンに絡めたり、どんなこと考えてんのかとかを、
気軽に知れるようになったっていうのもあるし、
サカナクションの山口くんがそういうメッセージを出してて、
それを真に受けてるからなんだと思うんだけど。

どういうことを言ってる曲が刺さるかで、そのときの考えとか、
そのときの自分の一番思ってたいこととかがわかるし、
変わってるのが分かるから、おもしろい。

それで最近歌詞とかもちょっと気にしてみたりするんだけど、
ソラニンを最近やっと見て。すげー良いなぁと思って、
んでアジカンの曲がまた超好きで。

全文書いたらこれなんか違反かな?

思い違いは空のかなた
さよならだけの人生か
ほんの少しの未来は見えたのに
さよならなんだ


昔住んでた小さな部屋は
今は他人が住んでんだ
きみに言われたひどい言葉も
無駄な気がした毎日も


あの時こうしてればあの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう戻れないよ


たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もうさよならなんだ


寒い冬の冷えた缶コーヒー
虹色の長いマフラーと
小走りで路地裏を抜けて
思い出してみる


たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もうさよならなんだ


さよならそれもいいさ
どこかで元気でやれよ
僕もどーにかやるさ
そうするよ

と、KREVAの「かも」

このままこうしていられるなら 他には何もいらない
そんな風に思えてしまったなら
終わりが近いのかも


あの時本気で挑んでたら 今こんなとこに居ない
そんな話あなたのその口から
聞きたくないのかも


他人だろうが自分だろうが
信じるには勇気が必要だ
誰も背中押してはくれない
そう簡単に鍵ははずれない
隠れたい逃げ出したい
忘れたい消えちゃいたいけど
そんな風に言う気はない
だってやっぱり勇気がないから


結局は流れに任せてるけど
心では斜めに構えてるそれで
「頑張ってるやつはダサい」って思ってる
「自分には関係がない」って
「ホントもうこれ以上いらない
適当に過ごせりゃ何も変わらなくていいよ
でもホントの俺はこんなもんじゃない」って
あぁ今がホントの自分なのにね



このままこうしていられるなら 他には何もいらない
そんな風に思えてしまったなら
終わりが近いのかも



あの時本気で挑んでたら 今こんなとこに居ない
そんな話あなたのその口から
聞きたくないのかも


俺はマグロじゃないが
マグロみたいに
止まってしまうと死んじゃうような男
だから同じこと求めるのは違うし
そのつもりもない だけど
全員が全員じゃなくていい 一人でも
今を受け入れて明日に飛び出ろ
君は誰かの指示を待ってるけど
未来は君を待ってるよ



このままこうしていられるなら 他には何もいらない
そんな風に思えてしまったなら
終わりが近いのかも


あの時本気で挑んでたら 今こんなとこに居ない
そんな話あなたのその口から
聞きたくないのかも


は、やっぱり同じことを言いたい曲だと思う。




ドンピシャではないけど、近いことを歌っていて、
今年がこういう年で、これだけSNSで発信が手軽になって、っていう時代に、
またそれはそれで、どれも合ってるし、でも、合ってる意見同士はぶつかっていて、
っていうようなことが身近になって、そうすると、この曲はやっぱりすごくて、
この歌詞に8か月もかかって、できたときも泣いて、
みんなの前でよっぱらって泣きながら歌っていたサカナクション山口一郎という男。
がいま、一番伝えたいことはこういうことなんだなっていう。



なにが言いたいかというとね、サカナクションが大好きって話です。