2012年3月25日日曜日

感傷よりも感謝を。

無事、卒業しました。


新設学部は、やっぱりおもしろかったよ。

いろいろと「それでいいのー?」って思うことももちろんあったけど、
自分たちが最初に巣立っていくわけだし、そういう意味でも、卒業はしたけど、これからも背負っていって、だから、いいフィードバックができますように。

濃い大学生活が、いわゆるキャンパスライフというやつがもう終わるみたいです。

正直いまは、昨日卒業式だったし、「よし、これからがんばるぞー」よりも寂しい気持ちのほうが強い。みんなと会えなくなるわけじゃないけど、会う回数は少なくなることは確か。


大学に行けば、みんなに会えるっていうほど、みんな大学には来ていないけど、

大学が、総文が好きだった、すごい。

というよりも、
やっぱり同じ学部に、パンフレットに「文化の創造と発進〜〜〜」だなんてざっくりとしたことしか書いてないときに、

一期生として集まったみんなのことが好きです。

サークル入ってなかったから、
ブルーシートのひいてある畳の部屋で大人数で飲み会してみたかったし、
新歓とか追いコンとかしてみたかったし、色紙とかもらいたかったし、
大学生らしい、まぶしいキャンパスライフとはほど遠かったけど、
これでよかったんじゃないかってけっこう思えてる。

一年のときに、最初に全員で集まったみんなのまえで杉浦先生が、
「早稲田でも慶応でも東大でもできないことを、青山で。君たちに会えて本当に嬉しい。ようこそ。」みたいなことを言っていて、それを聞いたとき本当に震えたし、
新しい学部の歴史を自分たちからつくるわけだから、なんとなくだけどがんばりたいと思った。

結果、四年間、フラフラしたしフラれもしたけど、いろんなことにチャレンジしてみて、
いろんな人に会ってその影響を受けて、足跡を残せたかわからないけど、

少なくとも「入ってよかった」と思っている自分がいるのだけは確かで、
それはでも、総文にとっても成功例だと思う。そう思える学生がいたっていう時点で。

じゃあ何を学んだか?何を得たか?って言われてもつまるけど、
いまだに総文はなにを勉強するところなの?って訊かれれば、
「えーっと、文化と名のつくものを全部!!!あとは人によります。」なんてしか応えられないけど、誰にでもオススメできるかと言えば全然そんなことないんだけど、

本当に学部の先生にも、友達にも感謝感謝感謝。ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

もし総文の後輩に偉そうに先輩らしいことを言わせてくれるなら、
「内輪になるな」「なんでいまこの場所にこの学部があるかを考えて」
っていうことを伝えたいです。環境は、すごい整ってるほうだと思う。
でも何かを始めたり進めたりするのを誰かが動くのを待ってたらもったいない。
本当に偉そうになったけど、それは4年間で感じたことでもあるし、
わかっていたけどできなかったことでもあります。
本当なら、一番かっこいい学部だと思う。


4月からは働きます。楽しんで働きます。もちろんしんどいことなんて、わかってるんだけどね。それだけじゃないはずだから。

高校生のとき、
「いちいち止まって考えることが多いけど、そのぶん気づけたことも多いと思う」
って先輩に言われて、でもそれってダサいなぁと思って、

でも大学にはいったとき、
「とにかく頭よりも足を動かそう」と思って、いろんなところに足を運んで首を突っ込んでみたらそうだろうなーって頭で理解したり推測することよりも、「体感する」ことって本当にでかいなって感じたし、それでも全部できたわけじゃなくて、やっぱり行動にうつせないことのほうが多かった。

自分の中にあるだけで良いものもあるけど、やっぱり表にとりだしてあげなかったら、
体現してあげなかったら、その思いとか考えとか、そういう思想、みたいなものは死んでるというか、かわいそう。

でもそれを思えているのも考えているのも自分しかいないなら、
似てはいても、それって自分にしか言えないんだったら、自分がいることで、
なにか空気がひとつでも良くなるなら、それはやりがいのあることだと思う。

4月からは、アルクアラウンド状態でやってこうと思います。

親父から「『甘え』は自分のGoogle検索項目から削除しときな」なんて、
それっぽいようで全然よくわかんないメールももらったんでw

いままでの学生としての自分に関係する人すべて、小中高、そして大学と、その周辺、

本当にありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

すこしでもみんなに元気だよーって示せるように、期待に応えられるように、

いままで通りの、そしていままでにはなかった自分で、また笑顔で会いましょう。

※卒業式に袴を着るの、一期生から続く伝統にしてほしい。
人数を増やしていって、ゆくゆくは、
「総文の男子はみんな卒業式で袴を着ることになっている。」にまでできたら最高!


2011年12月31日土曜日

範馬勇次郎とセレンディピティ


漫画「範馬刃牙」で、地球上最強生物であり刃牙の父である範馬勇次郎は、

『防腐剤、着色料、保存料、様々な化学物質、
身体に良かろうはずもない。
しかしだからとて健康にいいものだけを採る、
これも健全とは言いがたい。
毒も喰らう
栄養も喰らう
両方をともに美味いと感じ、
血肉に変える度量こそが食には肝要だ。』


と言っていた。
これがめちゃめちゃ良いこと言ってて(ほんと刃牙は言葉の力やばい漫画)、

あんま人生とは幸せとはって話「そんなんわかるかい」と思うから好きじゃないけど、
そのまま食を人生とか幸せってことに置き換えてみれば、
食わず嫌いをすること、とか、良いこと楽なこと気持ちいいことばかりをよかれとすることって、
楽しみ方としては半減なんだなっていう。

それは振れ幅、相対的にしか人は価値を感じれないんじゃないかっていう話なんだけど、
そういう言い方もできる気がする。

「あの日があったから今がある」とか「雨が降らなきゃ虹は出ない」とか、
「良薬口に苦し」とか、「かわいい娘には旅をさせよ」とか「苦労は買ってでもしろ」
とかなんかそこらへんって、全部そういうとこからきてんじゃないかな。

ほんと言われすぎてミミタコ系の言葉ってバカにできない。

つらいことも苦しいこともつらいし苦しいしできれば避けたいんだけど、
いざそうなったときに、「あ、振れ幅あざーす」っていう心持ちを少しでも持てれば
すごい良いことがあったときに、調子がいいときに、
体感できるのはきっとより大きなものになるのかも。

ようは、「ギャップ萌え」

◯◯なのに△△
は、

ただの△△が、◯◯であることで余計に際立つっていう。

普段おとなしいから怒ると余計に怖いし、
ママなのに若くてキレイだし、
「若いのに偉い」し、
医者なのに不養生だし、
ペンギンは鳥なのに飛べなくてかわいいし、

みたいな。

「意外」 の価値。

同じとかイメージ通りって楽だし気持ちいいし、
でも、
そういうふうに考えたら、らしくないこととか、
普段しないことにつっこんだり、
自分で自分をつくらないで、その幅を広げていくことって、
自分が楽しくなるためにはすごい大事で、
(結果、萌えるんならモテることにもつながるかもしれないけど)
それが、今年一年間意識していた「神様にフェイントをかける」という言葉でした。

「神様にフェイントをかける」は、
柳澤大輔さんの本、『アイデアは考えるな』に出てくるんだけど、
あえて普段しない方にのっかってみることで気づけたりすることがたくさんあるよっていう。

本当にそれを体感したし、結果的にそれで損したっていう気分には一回もならなかった。

たとえば松屋とかで「これ絶対選ばないなー」とかっていうものを選ぶとかそんなんだけど。

「いつもの」に、「いつもとちがうもの」をはさめば、
もしかしたら「いつもの」の良さをあーやっぱりあっちだわ、って、
また新鮮に感じられるかもしれないし、こっちもいいわー!ってなるかもだし。

セレンディピティって言葉がけっこうキーワードっぽく扱われたりするけど、
言ってることは刃牙の親父さんとたぶんそんな違わなくて、
偶然というか予定していなかったものに意外な価値とか発見があるかもね!っていう。

なんか広告の未来はどーなる?みたいな講演で嶋さんか岸さんが、
「アマゾンに『あなたに全然関係ない本はこれです』って一冊薦めてくれる機能とか
あってもいい」みたいなことを言っていて、まさにそうで、

自分に近いもの、親しいもの、好きなものばかりに囲まれた生活は、
きっと快適そのもので、生きやすいんだけど、もしかしたらつまんなくて、

<思い出はいつもきれいだけど、それだけじゃお腹がすくわー♪>

ってなるんだと思う。

大好きなバンド、サカナクションの一郎くんも
「混ざり合わないもの同士を混ぜ合わせたときの心地よい違和感の追求」
ということを言っていたしね。

順当にいいものを追求する王道もかっこいいけど、
こんな道もあるんじゃない?

サカナクションでいえば、こんな音楽もかっこよくない?っていう、
それはまさにアイデアの作り方の話にもなる。

来年をより自分にとって楽しい年にするためには、
らしくないことだったり好きじゃないものにも、
なんとなく目を向けてみるっていうのが大事かもしんない。

ハズしっていうか。

一方でいつものを守り続けるというか、ルーティーンワークを欠かさずこなす、とか、
自分のリズムなのも同じく大事で、

自分なりのジンクスとか、ヘンな習慣とか、そういうので培われてるその人だけの
「テンポ」とか「リズム」って本当に大切だと思う。
毎日続けてることとか、自分だけの習慣とかあんまないからできるようになりたい。
チリツモスピリット。

嶋さんは動物遊具を定点観察してて、すごいおもしろい話してたしね。

続けていくことと、裏をかくこと=「あえて」をやること。

リズムと、展開。
緩急。

自分へ
それがうまくできたらきっともっと楽しい年になるよ
地味なプロセスなくして派手な結果なし

NO JIMINA PROCESS,
NO HADENA KEKKA!

めでたい年ではなくモテたい年でした。

みなさん
よいお年を。

ロックンロール!

2011年12月7日水曜日

ソラニンかも

最近、なんか音楽の聞き方が変わったっていうと大げさだけど、
サカナクションのおかげというか、影響というか、
音楽がちょっと違った存在になってきて、
それは単に大きくなったとかじゃないんだけど、濃くなったというか、
アーティストの考えとかをもっと知りたくなったというか、
まぁ、アーティストがよりカッコよく見えてw

それは、twitterとかでカンタンに絡めたり、どんなこと考えてんのかとかを、
気軽に知れるようになったっていうのもあるし、
サカナクションの山口くんがそういうメッセージを出してて、
それを真に受けてるからなんだと思うんだけど。

どういうことを言ってる曲が刺さるかで、そのときの考えとか、
そのときの自分の一番思ってたいこととかがわかるし、
変わってるのが分かるから、おもしろい。

それで最近歌詞とかもちょっと気にしてみたりするんだけど、
ソラニンを最近やっと見て。すげー良いなぁと思って、
んでアジカンの曲がまた超好きで。

全文書いたらこれなんか違反かな?

思い違いは空のかなた
さよならだけの人生か
ほんの少しの未来は見えたのに
さよならなんだ


昔住んでた小さな部屋は
今は他人が住んでんだ
きみに言われたひどい言葉も
無駄な気がした毎日も


あの時こうしてればあの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう戻れないよ


たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もうさよならなんだ


寒い冬の冷えた缶コーヒー
虹色の長いマフラーと
小走りで路地裏を抜けて
思い出してみる


たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もうさよならなんだ


さよならそれもいいさ
どこかで元気でやれよ
僕もどーにかやるさ
そうするよ

と、KREVAの「かも」

このままこうしていられるなら 他には何もいらない
そんな風に思えてしまったなら
終わりが近いのかも


あの時本気で挑んでたら 今こんなとこに居ない
そんな話あなたのその口から
聞きたくないのかも


他人だろうが自分だろうが
信じるには勇気が必要だ
誰も背中押してはくれない
そう簡単に鍵ははずれない
隠れたい逃げ出したい
忘れたい消えちゃいたいけど
そんな風に言う気はない
だってやっぱり勇気がないから


結局は流れに任せてるけど
心では斜めに構えてるそれで
「頑張ってるやつはダサい」って思ってる
「自分には関係がない」って
「ホントもうこれ以上いらない
適当に過ごせりゃ何も変わらなくていいよ
でもホントの俺はこんなもんじゃない」って
あぁ今がホントの自分なのにね



このままこうしていられるなら 他には何もいらない
そんな風に思えてしまったなら
終わりが近いのかも



あの時本気で挑んでたら 今こんなとこに居ない
そんな話あなたのその口から
聞きたくないのかも


俺はマグロじゃないが
マグロみたいに
止まってしまうと死んじゃうような男
だから同じこと求めるのは違うし
そのつもりもない だけど
全員が全員じゃなくていい 一人でも
今を受け入れて明日に飛び出ろ
君は誰かの指示を待ってるけど
未来は君を待ってるよ



このままこうしていられるなら 他には何もいらない
そんな風に思えてしまったなら
終わりが近いのかも


あの時本気で挑んでたら 今こんなとこに居ない
そんな話あなたのその口から
聞きたくないのかも


は、やっぱり同じことを言いたい曲だと思う。




ドンピシャではないけど、近いことを歌っていて、
今年がこういう年で、これだけSNSで発信が手軽になって、っていう時代に、
またそれはそれで、どれも合ってるし、でも、合ってる意見同士はぶつかっていて、
っていうようなことが身近になって、そうすると、この曲はやっぱりすごくて、
この歌詞に8か月もかかって、できたときも泣いて、
みんなの前でよっぱらって泣きながら歌っていたサカナクション山口一郎という男。
がいま、一番伝えたいことはこういうことなんだなっていう。



なにが言いたいかというとね、サカナクションが大好きって話です。



2011年9月23日金曜日

なんか良いはなぜイイのか。

こないだ満月だった。


EP-3で。持ってるレンズだと望遠これが限界。

みんなツイートしてた。

あれって、なぜ満月が素敵なのか、いいのか、とかそういうの関係ないっていうか、

そういうことじゃなくて、「良いものは良い」んだよね。

人を殺してはなぜいけないか?という問いに対して「いけないものはいけない」という話なんじゃないか

ってなんか昔すげー売れた新書に書いてあった(タイトル忘れた)けど、そういう感じで。

東大ブロッコリーテロっていうのがこないだあって、

個人的にはあれはくだらないというかそこにかけるエネルギーすごいなとか

ちょっと「よくやるわ。。」と思いつつも、

純粋におもしろいないいなと思っていて、それはシンプルに

それがテキストになったときにキャッチーというか気になるものだったからあれだけバズッたわけだし、

ひらいて見ても画像もなかなか画的におもしろいし。

で、日夜どれだけの人がいかにバズを生むか、に頭を抱えてるのに、

この大学生のイタズラ心というかワルダクミはツイッター界の著名人の目にふれたこともあって

すごい勢いで広がっていったわけで、

あれのなにがおもしろいかときかれるとうまく答えられないんだけど。

けっこう憤慨している人もいたけど、僕は

全ての企画と言うか企てというか、そういうものに意味がなくても良いと思う。

あれが違法駐車のみを対象にしているからとかそういう「狙い」があったかなかったかはわからないけど。

なにかに意味を見出すとか、意義を感じるとかってそれはすごい曖昧なことで、

そこは悪い意味ではなく自己満足に頼ってもいいんじゃないか。

なにかを伝えればそれと逆の意見を持っている人もいるわけで、

でも伝わるべき人に伝わればそれでいいっていう部分もあるんじゃないかっていう。


たとえば
宮崎あおいがおもいきりブルーハーツの曲を歌うCMは、僕はもうかわいくてしょうがないというか、

良いなあと単に思うけれど、mixiの「見たくないCM」っていうコミュニティでは

「聞いてられない」なんて意見が少なくなかったりする。

みんなに良いと思ってもらえるクリエイティブは存在しないっていうスタンスは妥協でしかないんだけど、

1個のことを言うとそれの裏には逆を良しと思ってる人もいて難しい。

エコっていう言葉が実は嫌いで、「エコ」って言葉があるからいつまで経ってもそういう行為が

「エコ」でしかなくて、当たり前のレイヤーに落ちて来れないからって思うんだけど、

(HのESでそういう企画出そうとしたけどスケールデカすぎてうまくおとせなくてもう一つの案にしたのを思い出した)

そういう言葉でツボを押すことで動く人だってたくさんいて、

それってすごい正しくて。

うん、なにが言いたいかっていうとーーーーーーって今日言えない。

難しいねって話。表と裏がある。


個人的に好みなのが、FREITAGとかKULTBAGとか廃材を利用して唯一無二なもの作ってるもの。

持ってるこれもなんの柄だったのかわかんない。前世は誰ですか。


これってようはマイナスをプラスにしてると思うから。

あと同じのが他にないっていうのも、普通にかっこいいとか頑丈とかっていうのもあるけど。

そういうのにどうやら惹かれるみたい。

蝉semiっていうめちゃめちゃかっこいいプロジェクトも最近知ったんだけど、

これを日本のたとえば六本木のフェス用のフラッグとかでやってるみたい。

バッグくそ欲しい。というか蝉っていうネーミングが最高。

意味もかかってるし。

そんなこんなで、こないだ名和晃平さんのシンセシス見に行ったときに、

売ってて思わず買っちゃったのが、これ。


ニューズドって読むプロジェクトのものらしくて、
これはオリジナルプロダクトをつくるときに必ず出るアクリル板の端材を利用しているものらしい。

個人的にこの色の組み合わせが、トイストーリ−3の前にやるピクサーのデイ&ナイトじゃないけど、

昼と夜をパッと連想させるもので思わず衝動買い。

ニューズドっていうネーミングも良くて、
「時間、時代、使用など、あらゆる意味で古くなったモノを、新たな視点で見ることで、別に新しいものとして蘇らせる」っていうのはモノだけじゃなくてメッセージにも言えて、

古くなったというか、変わらないものがあって、それはでも同じ言い方じゃ時代が変わると伝わらなくて、

でもエジプトの壁画にはすでに「最近の若者はダメだ」とか書いてあるらしいし、

トシさんも以前ブログに書いてたけど、ヒョウ柄はずーっと流行ってる。

言いたいことをいかにその時代のトーンにあった「見せ方」をするか。

同じメッセージでも、そこで差が出るわけで、そこにいろんな余地や楽しさがあって、

そういうの感じながらいろんなものつくりたい。

単にそのつくれるものの幅がひたすらに広がっていっているとすれば、

どんだけ楽しい時代。

どんだけーーーーーーーーーーーーーーーー

※GATSBYのCMコンテストに出したのが生き残っているので、他のも見てもし一番よかったら投票してくれるとありがたいです。
「魅惑の妄想」編ってやつです。



http://award.gatsby.jp/vote/



2011年9月6日火曜日

もうごっちゃごちゃ

このブログも全然放置してた。


なにかインプット(ってなんかかっこつけてるね)があったらどこかに吐き出さないと、


結局そのとき「ふむふむ」って思ったことを自分のものにできなくて左耳から右耳へ流れ出ちゃうと思うので、


これからはまたちゃんとここに吐き出したいと思います。


自分の言葉で書くってことの大切さはありとあらゆる人が言ってるしそのほうがスッキリ理解できると思うし。


でもデザインを変えたくてでもやり方がわからなくてこのブログ放置しちゃってたんだった。


そっちも近々どうにかします。


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整理しないで誰も読んで得しないだろうけどとりあえず書きます。


まず、初のヨルヒルズ。


planistaっていうオッシャーなネーミングのイベントで。


plan+fantasistaの意らしい。


しんぺいさんに初めてお会いして考えを垣間見てけっこーショッキングだった。


なんか自分がいつのまにかすげー限られた見方というか暗黙の了解的にいらない縛りをつくった上でしか


生きてないというか、考えてないんだなって。


なんのために働くのかとか、どうやって生きていくのかとか、大げさにいえばそういう話なんだけど、


それって、本当に自分の中にポリシーというか、人生に対するスタンスというか、


生きる「思想」みたいなのがないといけなくて。


で、そういうの俺わりとあるつもりだったんだけど、いつの間にか「あれ、またないやー」って思って。


しんぺいさんが安定が安定しないことって言ってたけど、


それくらい自分が無意識にいろんなところに予防線はって、


自分が嫌いなしょっぱいおじちゃんたちと同じような道を歩もうとしてることになんとなく気づかされました。


もう一回このタイミングで自分がなにを本当にやりたいんだっていうことと真っ正面から向き合わなきゃって感じ。


なんか、本当無意識のところに意識を向けるってすげー怖くて、まわりの空気と同じようにふわふわただよって生きるのってすげー簡単だから。


でもその先に自分の理想郷はあんのかって言ったらちょっと違う気がして。


憧れる人はいっぱいいるけど、その人たちのイメージに憧れてるだけで、


中身というか、そこまでの過程というか、そういうのシカトしてああいう風に見られるの良いなって


いいとこだけ真似できたら良いなって思うのって、「どうしたらそうなれるのか」っていうのを完全に無視した話だから、


それって結局俺なんにもできない奴だなって。


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アプリムが終わりました。




今回は反省しかない。


もう穴があったらさらに掘って掘って掘ってから入りたい。んでそっこー埋めてほしい。


反省を赤裸々に、レッドヌーディーに。


まず、チームとして一切機能できないまま終わった。


俺は、今回本気で優勝するしかないメンバーに声かけて、


前回のアプリムでSTVと小島なんとかって奴と組んで、役割とか決めずに、


全部三人でシェアして全部ぶつけて、でもなんとなくいいと思うセンスが近くて、


かなりいい感じで最後までバカやりながらすすめて、の割にはインパクトよりも


「ほんとにあったら使いたい」系の企画で企業賞2つもらって。


でも彼らがソウケイだったから青学で今回はいこうと思って。アイデアでは青学イケイケですよってとこ見せたくて。べつにコンプレックスとかじゃないんだけど。


「あほ学」って名前で女の子の化粧品のほうで優勝できたらどんだけかっこいいんだろと思って、


最初は出る気なかったんだけど、その妄想が楽しかったから、


三人を誘ったんだけど。


本当にリーダーとして一切役割を果たせなかった。


最後までバラバラを向いたままだった。


まあ割とあくが強いというか、くせのあるメンバーだから(笑)難しいんだけど、


それにしてもかみ合えばすげーことになったんだろうなって思えるメンツだっただけにすげー悔しい。


自分たちがまず自分たちの企画を良い!と思えてることがなによりも大切だと思うから。


結果的に、大学のレポートじゃないけど、とりあえず最低提出に間に合えっていう感じ。


本当に残念だった。


自分たちが良いと思えるものを出せてれば、結果もついてきたんじゃないかって思うし、


正直決勝はなんだか腑に落ちるものではなかったけど、それでも救いにはなったと思うし。


アプリムを通してやばいことに気づいた。


自分は、こういう企画を実はほっとんどしたことがない。


から、企画書が全然かけない。


なんかそういう系の人たちと仲いいから自分もてっきりできるもんだと思い込んでいたというか。


ようは、なんにもできないんです。


それに気がついてしまった。


ちょっとジャストアイデアを人より多めに言えるくらい。恐れを知らないだけっていう。


それって仕事になんない。っていうかこういうときに力になんない。


すげー怖いことにきづいてしまったなー。と。


なんとなく運と雰囲気で、けっこー大切なインターンに行けたりアプリムでいい感じだったりして、


地震あって考えがすこしずつ変わった先で行きたいと思える会社に行く権利を得て、


順調なんだけど、順調な故にすごいやばいなー。と。


そういうところを評価されていくのに。そこで勝負したいのに、


俺ってなんとなくでしかやってきてないなって。


別にプライベートというか、そっち系というかあっち系がどうとかって俺はけっこー切り離して考えていいと思ってるんだけどコンプレックスだらけだからまたそっちも見て見ぬ振りなんだけど一旦おいといて、


(しんぺーさんとカズワタベさんはすごいことを言ってたけどw)


そこから目をそらしちゃいけない気がします、このタイミングで。


んで、自分の考えとかどうしていきたいかとか、そういうのもう一回見つめなおしたいと思う、


夏休みのうちに。いわゆる自己分析ってやつをもう一度。


でもこれわかんないけどみんなにも言えるんじゃないかと思ってて、


考えって流動的だし、しゅーかつがおわって卒業後どうするかでまたこれからのこと考えるって大切じゃないかなと思う。


しゅーかつのときに書いた模造紙(これ気に入ってるやり方)をもう一回広げて、自分の理想のビジョンをもう一回再構築します。


今回考えなきゃいけないのは、憧れてるようなすげークリエイターというかクリエイティブディレクターは、


はんぱない量の泥臭くて地味で大変で苦しい作業を毎日こなしてるってことだと思う。


その上でいまああなってるんだと思う。だから大切なのは、その先の結果として見るんじゃなくて、


目指す過程ですら楽しめる考えのたてかたかなと。


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アプリムのパネルディスカッションがかなり混乱してた。


同時にTL追いながらで、偉い人たちも意見が交錯してて、それが逆にあ、いいんじゃねえかなって思った。


そのなかで、コピーの考え方が大事だなって俺は一つ結論を出しました。


原野さんのこのつぶやき


深堀とか分析が大事とか言うと、それを信じちゃう学生が出ないか、心配。手段の目的化。商業企画で重要なのは「発見」、あるいはインサイト。聞いたらあーそーだなーと納得するけど、あー思いつかなかったなーという視点。それに至る思考技術を持った方が効率いい。 


コピーから考えてくっていうの、アプリムでも一瞬試みてみたんだけど、


言葉としてまず、みんな思ってるけど、誰もまだ口にできてないというか取り出せてないというか表にひっぱってこれてない思いだったり気持ちをまず表に出すこと。


これがくっそ大事だなと。


だからコピーのノートもう一回みて振り返る。あと宣伝会議本気でやる。


だいたいすげーCDってコピーもうまいしな。


あともうひとつコピーが大切だなって思ったのは、


同じメッセージでも文言とかで全然見え方というか伝わり方が違うから。


そしてそれでだいぶ差が出る。


それって怖いこと、というかもったいないこと。っていうかありがたいこと。


なにを言うか、どう言うか


のどう言うかのところでなにを言うかは本当に違って見えるんだなっていう。


もちろんなにを言うかの質がそもそも大切なんだけど。


またいつものごとく、手を動かせる人が最強だなと思いました今回。


だから手を動かせないなら動かせないなりに動かせるようにならないと。


コピーライターにはとりあえずならないけど、コピーライターよりもいいコピーを書ける状態でいたい。


それを武器に企画を考えたい。


でもそこででっかい勘違いが実はあって、


マジョマジョで優勝した魔女の女の子が「愛があればなんでもできる。愛を持って接すれば叶う。」って


はっきり言い切ったことの意味ってすげーでかくて。


すげーはっとしました。


企画のための企画じゃなくて、そもそもそういうスタートの仕方自体がナンセンスというか間違ってて。


良いものを発信しようとか、少しでも心を動かそうとか、クライアントの課題を解決しようとか、


そっちのマインドというか心持ちが先行するってこと。


わかんないんだけどあの子のコメントは、審査員とか社会人のほうがぐさっと来たんじゃないかなぁ。


ようは企画は社会とか人への愛に満ちたものじゃなきゃいけなくて、賞を取るためのものでも、


人からよく見られるためのものでもないってこと。だから、あの子が優勝したこと、優勝したあの子があそこで


あのコメントをしたことの意味はすごい大きいと思う。


なんかアプリムに関してはそもそもでもコンペだからある程度しょうがないと思うんだけど、


てかそれが人間の正直な気持ちでもあるからしょうがないんだけど


「ドヤ顔」するために臨んでた。


それがいちばん下のレイヤーにきちゃいけないんだよなー。


とにかく
「協調すれども同調せず。」
「意志あるところ道あり。」
っていう高校のときの先生がくれた、っていうか多分先生自身のモットーなんだろうけど、


をもう一度心に宿して、ちょっとがんばりたい。


こじはるじゃないけど、本気出したい。


あと最近きづいたのが、33巻あたりの悟空の考え方がいちばん使えるってこと。


ベジータとかトランクスがとにかくパワーとか気を大きくすることに夢中になって、


だけどそれって逆効果でセルにちんちんにされてる状況のなか、


悟空はいたって落ち着いてて、悟飯と一緒に、


「スーパーサイヤ人の状態を当たり前にする」っていうことを目標に修行した。


これは、ようは「当たり前の状態をいつもより高め」にするってこと。


「MAXのときの値を高める」んじゃなくて、平常時の状態をレベルアップさせる。


これって自分に今いちばん必要なことなんじゃないかと思う。


ようは、調子のいいときじゃなくて、普段の底上げをすること。


それがいちばんいま必要だと思います。マンガ最高です。もっと読みたいです。


さいきん、John_lennonbot をフォローしたんだけど本当いいこと言う


人の言うことなんて気にしちゃだめだよ。 「こうすれば、ああ言われるだろう・・・」 こんなくだらない感情のせいで、 どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。


これとか本当刺さりまくった。


本当の意味で正直に生きるって本当難しいんだな。できてるつもりでいたけど、やっぱり誰かの目を気にしてる。


でも、髪の毛とかそういうとこですこしずつ正直になれてきてます。おじにも変わったね!って言われたし。


あとはれんあ(ry


アプリムで人生変わったって話、大げさだなーなんて思ってたけど自分もそうなのかも。


というか、もとをたどると、アプリムに出るきっかけになったおりおさんとの出会い、


おりおさんとの出会いのきっかけになったCAC、


CACに通うきっかけになったたまたまABCで見た「クリエイターの素」って本。


ほんと、運命というか、そういうのって、きっかけはすごい小さいんだな。


なんかファンタジー。なんかドラマ。小さな選択肢の組み合わせで、その先の枝を辿ってくんだな。


でもあの日もし本屋にいってなかったら、、、、と思うと本当に怖い。ぞっとする。


なんかありがとう。神様、デンデさま。




次からはもうちょっと読めるものを書きます。



2011年6月23日木曜日

2011年6月19日日曜日

あ。

sccs-nightのブログ


書きました。オブラートに包んで。


前にツイッターにぶあああっと総文はこうあるべきだー!みたいの書いて、


誰からも特に反応なくって、


自分はなぜこんなに周りの人と学部に対する考えが違うことを気にしてるんだろうって、


なんでこう考えを押し付けようとしてるんだろって気づいて。


だからこれはあくまでこう考えてますよーレベルです。


結果出してないからやっぱ偉そうなこと言っても説得力が伴わない。


ブログ、ちゃんと更新しなきゃー。そしてそれは鮮度のあるうちに。


デジカメでいいからカメラがほんとに欲しい。